「自分の親が嫌い。」
そんなこと言ったら、日本では批判の嵐でしょうけど。
罪悪感など抱く必要もありません。そもそも親に感謝するのは、個人の自由です。人から強制されるものではないし。
生んでくれた
育ててくれた
が、同じ人間として尊敬できない。
別に不幸になってほしいわけじゃない。
遠くで私に迷惑をかけないように生き、幸せでいてほしいと感じるくらいの情はある。
それで十分ではないかと思うのです。
親が嫌いなのはおかしいことなのか?
家族であれば何をしても許される
というのは大きな間違いで。
家族といえども、良好な関係を保つためには思いやりや努力が必要だと思います。
「親が嫌いな自分はおかしいのではないか?」と悩んだり、罪悪感を持っているかもしれません。だって、日本はそういう風潮も強くてとても肩身が狭いから。
嫌いなままでいいし、罪悪感を持つ必要はない
とお伝えしておきたいと思います。
他人に打ち明けるのは印象が悪いか?
大抵の人はあなたが「親が嫌いなのを信じられない!」といった顔をします。
他人にはまず打ち明けない方がいいと思います。
一般的な家庭で育った人はあなたの家庭環境を理解することができません。
「親のありがたみがわかってない。」とか「親も完璧じゃない。」って親の味方をします。
とても厳しかったのかな?
忙しい人だったのかな?
「そこまで言わなくても!そんな大げさな!」程度の認識です。
なので、私は聞かれた時しか答えないようにしています。
嫌いなんだけど、どう接したらいいのか?
距離を置いて、必要以上に関わらないようにしましょう。
「もしかしたら関係を改善できるかもしれない」と期待して親にアクションを起こそうものなら、痛い目にあいます。(経験済み)
親に嫌なところを打ち明けたり、縁を切ったり、攻撃すると「どうせ私が悪いんでしょう。」と被害者ぶって周囲を巻き込みます。
「触らぬ神に祟りなし」
この言葉がとても似合います。
生んでくれた、育ててくれた親に感謝は必要なのか?
「生んでほしいと頼んだわけじゃない。」
「育ててほしいと頼んだわけじゃない。」
確かにそうです。自分が望んで生まれ、育ててほしいように接してもらったわけじゃない。
幼少期も結婚や子育てをしてからも、多分周囲より苦労している。
生きづらい毎日をもがいて、「消えてしまいたい。」と感じることもたくさんあった。
でも、「本当に生まれたくなかった?」と聞かれるとそうでもないと思うんです。
大なり小なり楽しさや幸せな瞬間を感じることができたのは生まれてきたからであると思っています。
うさぎは変な親でたくさん苦労したし、この先も大変なことがあったとしても生をくれたことだけには感謝しています。(感謝って言っても「まぁ、ありがとね。」くらいですよ。笑)
本当にしんどくて真っ暗なトンネルをずっと歩いていると「感謝?何それ?こんなに苦しいのに。」と思って当然です。
私も生をくれたことに感謝できるようになったのは、自分の人生を取り戻してからです。
ただ、それに罪悪感をもったり、自己嫌悪に陥るのはNG。
罪悪感など抱く必要もありません。そもそも親に感謝するのは、個人の自由です。人から強制されるものではないし。
まとめ
「自分の親が嫌い。」というのは自己防衛の一種だとうさぎは思います。
あなたを親の毒から守るために一生懸命シグナルを発しています。
その気持ちを無視せず「あぁ、嫌いなんだな。今までの仕打ちを考えれば当然だな。」と思っておきましょう。
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