今回、目黒区で虐待による痛ましい事件が起こりましたね。
これからもっと原因や対策がなされていくと思うが、現在の情報だけでうさぎの思うことを綴ってます。
救えたはずの命、なぜその手を掴めなかったのか?
小さな命はなぜ救えなかったのか?
今回の事件の児相の動きをyahooニュースで見つけました。
「パパ、ママいらん」「でも帰りたい」 亡くなった5歳児が、児相で語っていたこと
記事の一部を抜粋すると、どうしてもココが引っかかる。
品川児相は「転居で環境も変化している。どこまでできるか分からないが、対応は考える」と答えた。品川児相では緊急受理会議が開かれ、ケース移管の受理が決定した。
しかし、その後2回ほど「ケース移管でしたか?情報提供でしたか?」と問い合わせがあるなど、すれ違いが見られた。
県はそのたびに、「ケース移管であり、緊急性が高い。終結したケースではない。早く会って本人確認を」と伝え、2月5、6日には母親に電話を入れた。
ケース移管であるのに関わらず、本人と面会しない意味がわからない。
「できない」じゃなくて「するの」と思ってしまうんだけど。
連休が明けた2月13日、県が品川児相へ確認の連絡を入れると「信頼を築くにはまだ時間がかかる。警戒されてしまった部分がある」と伝えられた。
確かにずっとケアしていくことを考えると、強制的にすることで関係を損ねケースが悪化してしまうパターンもあると思う。
この間、品川児相が本人の姿を確認することは一度もなかった。
でも、一回も会えないのに引き下がり続けるのはおかしいよね?
香川県から引き継いで、1ヶ月半もあったのに。と。
引き継ぎには48時間ルールは適応されないのか?
虐待には通告があってから、48時間以内に安否確認をするルールがある。
虐待通報があると、児相は48時間以内に子どもの安全を確認するよう求められている。「48時間ルール」は1999年に埼玉県が始めた。厚生労働省は当初、児相の負担などを考慮し、参考として紹介するにとどめていた。しかし、京都府で3歳の男の子が食事を与えられずに餓死した2006年の事件で、児相に通報があったのに虐待死を防げなかったことが明らかになり、児童相談所運営指針を改正、全国的なルールとした。
このルールも痛ましい事件の結果、できたもの。この場合は通報なんだけど。
引き継ぎだって、こういうルールがあってもいいと思う。
特に今回のケースは緊急性が高いものだったのだから。
ちょっと古い資料(H19)なんだけど…厚生労働省のHPから。
安全確認は、児童相談所職員又は児童相談所が依頼した者により、子どもを直接目視することにより行うことを基本とし、他の関係機関によって把握されている状況等を勘案し緊急性に乏しいと判断されるケースを除き、通告受理後、各自治体ごとに定めた所定時間内に実施することとする。当該所定時間は、各自治体ごとに、地域の実情に応じて設定することとするが、迅速な対応を確保する観点から、「48時間以内とする」ことが望ましい。
色々な虐待のケースに共通すること
うさぎはよく虐待の記事などを読むのですが、共通している気がするのは
幼稚園や保育園に通っていなかったり、健診等に姿を見せない。
保育園に在籍する要チェックに上がる保護者も健診などに行かないことが多い、何度も声をかけます。
今回もそんな共通点が当てはまりますね。
幼稚園や保育園にも通わされず、ほとんど周囲とのつながりを断たれていたとみられる結愛ちゃんは、弟の健診にも、そして2月20日にあった小学校の説明会にも、現れることはなかった。
幼児教育無償化で救える命があるのではないか?
虐待がある家庭の場合、優先的に保育園に入れるはず…
が、児相では保育園や幼稚園への入所は検討されていなかったのか?と疑問に思う。こういうケースの場合、通園を義務付けて欲しい。
保育園でできることって割といっぱいある。
- 通園している間の安全確保
- 安否確認
- 子育て支援
- 給食
- 沐浴
- 内科、歯科健診
- 保健センターや児相との連携 などなど
「お金払いません!」っていうのなら、そういう世帯は無償化にするとか。
1週間休んだら、家庭訪問で必ず面会できるようにするとか。
あげだしたらキリはないんだけど、子どもの命守るために義務付けることくらいできるんじゃないの?と思ってしまいます。
彼女の手紙(全文)を読んで思うこと
「子どもが覚えたての平仮名で書く手紙ではない。親がいつもこんな言葉を投げかけなければ、子どもが覚えて使う言葉ではない。」でした。
うさぎは現役の保育士ですが、言葉を覚えたての5歳が書く手紙はもっと愛のある子どもらしいもの。
例えば…
- ママ(パパ)だいすき、おしごとがんばってね
- せんせいだいすき
- 〇〇くん(お友達への手紙) などなど
どんな思いで書いたのだろうと想像するだけで、心臓が破裂しそうな勢いです。
当然、平仮名を書けるようになるために練習するのだけれど、「字が書きたい。お手紙を書きたい。」と言って保護者や保育士に教えてもらいながら書いていくものなの。
そんな字を朝の4時に起きて強制的な練習で習得していくなんてありえない。
出勤して彼女と同じ年頃の年長さんを見ると、なんとも言えない複雑な気持ちになります。
目の前の小さな人を大切にしていきたいと再度認識しました。
虐待をする親は毒親ではない
数ある虐待の事件も痛ましく、悲しいものです。
うさぎの場合、今回の事件はどうしても許せない。
私や兄弟が受けてきた虐待と酷似しているから。
妹は平仮名の練習をこれでもかとやっていたし、母親は「私が入るともっと酷くなるから。」と見て見ぬ振り。
義務教育で給食があったからなんとかなったけど、痣だらけになっても、夜中に立ってたり、正座を強制されても。
最終的には、親戚も児相も動いてくれたから、生き残れたけど。
彼女にはそんな親戚はいなかったのだろうか?
手を差し伸べてくれなければ、自分の大切な兄弟もいなかったかもしれない。
子どもではどうしても立ち向かえないこの問題に近くの大人がどう向き合うかで全て決まってしまう気がする。
今回、色々考えて思ったことは、虐待する親は毒親ではなく、犯罪。
だって、赤の他人にすれば全部犯罪でしょ?
生きているから取り返しがつく
私の場合、生きているから人生を取り返すこともできた。
でも、やはり生きているからできること。
どうしても救える命をすくって欲しかった。
なぜ、今回のような痛ましい事件が起きてしまったのか。
きっちり原因を追求して、子どもたちのために活かして欲しい。
まとめ
増え続ける児童虐待。
家庭の中というブラックボックスで起こることなので、顕在化はしにくい。
だから、手に入れた情報を大切にして目の前を子どもたちをすくって欲しいと願わずにいられない。
5歳の少女のご冥福と残された兄弟が適切なケアを受けて一生幸せに歩んでいけることを願っています。
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